震災発生から今日までのこと
11日に発生した東北地方太平洋沖地震では,即時性の高い情報に対する需要が高いからか twitter でその時その時の状況を発信する人が多いので,自分は記録として震災当日から今日までの自分の状況をまとめておく.
3月11日
- [14:46 - 16:00] 某シンポジウム@神保町のポスター/デモセッション時に地震発生.ゆるい揺れがしばらく続いた後,そろそろ終わるかなという予想と反対に,揺れはより強くなっていった.地震発生直後から,信頼性の高い少数の情報源にアクセスが集中して,地震の実態を把握するのが困難になる中,twitter が情報のミラーリングを行う場としてうまく活用されていた(同時に,デマも相当数流れていたが).地震の詳細も twitter から入手.携帯電話は各社揃って不通.この時点では skype で家族と連絡を取っている人がいた.東京の父から無事とのメール連絡.
- [16:00 - 18:00] その後のパネルセッションは,パネリストが揃う見込みが無くなったこともあって中止.関西組など,遠方からの参加者は,早々にホテルを確保しようとしていたが,電話が通じず,かつネットでは当日予約を受け付けていないホテルが多かったこともあって難航しているようで,直接最寄りのホテルに出向いて部屋を確保している人もいた.JR/地下鉄等,主要交通機関は麻痺している様子だったが,twitter 上では運行情報に関する情報が錯綜し,それを信じて駅に向かう人も多かった.都営バスは動いているようだったが,バス停に人が殺到して動けない状態.この時点で,一番心配だった埼玉の妻から携帯に不在着信が入ったので,とりあえず電話をかけられる状態であることは分った.
- [18:00 - 20:00] シンポジウムは流れ解散となったが,自分も含めて自宅に帰れない人のために,会場の建物内の部屋を幾つか開放してくれる旨連絡あり.自分は関西から来ていた昔の研究室の先輩と,食事をとりに行った.道には人が溢れていたが,レストランは比較的空いている状態.最初,ろしあ亭に向かったが,地震の影響で営業を取りやめていたので,スヰートポーヅで食べた.年季の入った店なので,食べている間余震が来ないか心配だったが,何事も無く食べ終わり,シンポジウム会場に戻ることに.途中,コンビニに寄ったが,弁当/パン類はほぼ完全に売り切れ.仕方が無いので,水分補給にお茶,さらにカロリー摂取を考えて,ナッツ類を購入.ご飯を食べる前か,食べた後かどちらか判然としないが,妻の実家に電話をかけたところ,妻も含めて実家に待機していることを知り,ほっとする.
- [20:00 - 24:00] 会場に戻ると,既に多くの人は会場で一時的に用意された避難所に移動済み.建物からの避難を意識して1階に残る人と,12階に行く人に分かれていたが,自分(たち)は12階に向かうことにした.大会議場が臨時の避難所になっており,既に非難していた人たちは ustream で流れている NHK を眺めていた.自分もそれに加わって部屋で待機していたが,その後まず都営線が,さらに一部メトロが復旧し,帰る人も増えてきた.この時点で,出先で地震にあった母とも連絡がついた.自分は家が埼玉,実家が東京で,実家には帰ることも可能だったが,できれば埼玉の妻に会いに行きたかったのと,人が殺到している駅に行くよりは,安全が確保されている今の場所に留まった方が良いと判断して,ここで夜を明かすことに.途中,乾パン,クラッカー,アルファ化米の赤飯など非常食が配られ,食べたりしていた.
3月12日
- [ 0:00 - 6:00] 床で寝ている人がいる中,椅子を並べて仮眠していたが,ustream で頻繁に緊急地震速報のアラームがなって,そのたびに起こされてほとんど眠れず.この時間帯の緊急地震速報は,当たることが少なくなってきていて,何を信じていいのか良く分からない疑心暗鬼の状態になってきていた.朝方になって,前述の先輩は東京駅経由の新幹線の席をオンラインで確保し,帰って行った.
- [ 6:00 -12:00] JR 各線は 7:00- から復旧の見通し,とのことだったが,案の定,復旧は遅々ととして進まず,twitter で眺める限り高崎線については自分の住んでいる辺りは不通状態.上野駅は駅の外まで大量の行列でパニック状態とのことだったので,避難所に待機し続ける(この間床で仮眠).最後に残ったのは約五人.昼頃,ホテルを確保出来ていなかった某先生がホテルを確保できたため,避難所は解散.高崎線は不通だったので都営線で実家に帰宅.さすがに,都営線は空いていた.
- [12:00 -24:00] 仮眠のつもりで寝たが起きたら夜になっていた.埼玉の妻と連絡をとりつつ,明日自宅で落ちあうことに.
3月13日
昼過ぎに家を出て,高崎線で自宅に.妻と無事再会.本当によかった.近所のスーパーに夕飯の食材を買いに行ってみたが,米/水/牛乳/缶詰/(安価な)カップ麺などはほとんど売り切れ.米の食味ランキングを参考にコメを選ぶ - ny23の日記 でも書いたけど,うちは玄米の備蓄が多少あるので,周りの人に迷惑をかけずに済んで良かった.
3月14日
高崎線は運休見込みだったので,今日は自宅で待機することにした.住んでいる場所は,計画停電のグループに三つも含まれていたので一日中停電かと思ったが,これらの停電は回避された模様.JR が多く運休した関係で,都内を中心に電気の需要が落ちたのが効いたのかもしれない.
[ここまでまとめ] 今回の地震と比較される,阪神・淡路大震災のときは,自分は高校生で,京都に住んでいた.震災当日の朝,市営地下鉄はダイヤ調整中の表示で通常運転していたが,京都駅で待機していた教師から帰宅するよう促された.翌日も,学校に来れたのは京都在住の数人のみ.あの時も十分異常事態と感じたが.今回の混乱ぶりは,当時とすら比較にならない.今回は,災害発生最初は(もしかすると)あの規模に匹敵する被害が出るかもしれない,というぐらいの認識だったが,次第に明らかになってきた広範に渡る津波の被害や,現在も予断を許さない福島第一・第二原発の深刻な状況な鑑みると,それを上回る災害であることは間違いないようだ.心が傷む.
[これから] 今の状況で自分にできることは,まず節電.研究の実験など,不要の電力消費を避けるよう留意すること*1.経済/産業活動は西日本の人たちが東日本の人たちの分まで頑張ってくれることを期待している.次に,二次災害に遭う危険を避けるために,状況が落ち着くまで出勤せず家で待機すること.帰宅難民になって,家族と離れ離れになるのは避けなければ.不安に駆られて必要以上に食料品を買い貯めるのはやめよう.なるべく徒歩圏内で生活し不要なガソリン消費を控えよう.家でも,服を着こむ,毛布を使うなどして暖房で不要な電力消費をしないよう留意しよう.停電中は,テレビの情報が遮断されるので,不要な外出等はせず,自宅待機する(ラジオ or iPhone/radiko.jp があれば耳を傾ける).
[追記] 自分が住んでいる地区は計三グループの計画停電が予定されていて,明日15日は 6:20-10:00, 9:20-13:00, 18:20-22:00 で停電するとのこと.実際には,6:20-10:00 で停電で,二つ目の該当グループの停電はなかった.計画停電では,停電対象地域の隣接地域が停電する場合もあるということなので,番地まで含めた細かい住所単位でも,計画停電のグループと対応が取れていないのかもしれない(同一地点が複数グループに含まれるというのはやや考えにくいし).結局,18:20-22:00 も停電しなかった.うちはグループ3ということかな.
*1:所属部局からも実験などの電力消費を控えるよう通達を受けている.