苦手な国内ジャーナルの査読が続く
国内ジャーナルの査読は色々な意味で苦手だ(日本語を書くのがそもそも苦手というもあるし,これは直るだろうと丁寧にコメントを書いて照会をかけても全く直ってこなくてゲンナリしたり).今一本査読しているところなのだけど,その締切りが今月末というところで,昨日別の学会の論文誌の査読を依頼された.少し悩んで承諾のメールを送った三時間後,同じ論文誌の別の論文の査読依頼が来た.トホホ.結局引き受けたけど,専門であっても国内ジャーナルの査読はしんどいので,専門を外れる国際会議の論文を査読している方がまだいいなぁ.
国内ジャーナルは,今まではなるべくいいところに目を向けて通す方向で査読していたけど,投稿時にあまりに論文の体裁が整っていないものは,照会をかけてもろくに直ってこない事が多いので,スッパリ不採録の札(顔を洗って出直せ)を貼ることにしたい.というか,ジャーナルだからと言って,いい加減な状態で出すなと言いたい(指摘しても改善されないところをみると,投稿者なりにに全力を尽しているのかも知れないが).
国際会議も同じで,もちろん出さなきゃ通らないものだし,積極的に出したらいいとは思うのだけど,限度があるというか,投稿者自身がメタメタな状態と分かった上で出すのはどうかと思う(査読結果で clarity がどの査読者からも平均点以上つかない論文とか).分野外の学会の論文を査読していると,やたらと採択率が低い学会があったりするのだけど,そういうのは競争率が高くて良い学会というよりは,学会の求める採択基準に鈍感な投稿者が多いだけだったりする(ボーダー近辺の論文が増えているというより,箸にも棒にもかからない論文が大量にある状態).こういう状態は非常に良くなくて,貴重な時間を多くの査読者から奪う事にもなるし,分野全体の停滞を招いたりもする.
そういうわけで,投稿者自身が自分の研究に対する一番厳しい査読者であるようにしないといけないと最近感じている(査読するようになれば分かるが,いい加減な論文を出していると,(同じ程度のダメ論文が)査読論文として自分に返ってくる; 適当な査読をすれば,自分の論文も適当に査読される).「当たるも八卦」の投稿はやめて,「自分なら通す」というところまで進めて論文を出したい.自分に甘えた手抜きの研究・論文・査読が,学会全体をダメにしていく.