論文が簡単に採録されるのも複雑な気分

震災の一ヶ月後に投稿した論文が某国内論文誌(英文)の特集号に採録された.六月上旬に第一回判定結果が来ると聞いていたが何の連絡もなく,いつ連絡が来るのかと内心心配していたが,今日ひと月遅れで結果の通知が来て,ごく軽微な修正のみ(タイポと表の体裁の改善)の照会なし採録だった.最終原稿の提出は10月と聞いていたが,来週には締切りとのこと.ずいぶん早いなぁ.
論文が採録されたこと自体はもちろん喜ばしいことなのだけど,少し物足りない感じがするのは,第一査読者,第二査読者,メタ査読者共,査読のコメントが 2-3 文(3行程度)しかなかったこと(軽微な修正に関する指摘を除く).二流国際会議やワークショップの査読ならともかく,論文誌の査読コメントって,こんなにもシンプルで良いのだろうか.投稿したのは自分も査読したことがある国内論文誌だが,自分は(この論文誌に限らず)論文誌の査読では最低でも30行以上はコメントを書いている気がする.第一著者の論文としては久しぶりの論文誌への投稿だったので,どんなコメントが来るかなと楽しみにしていたのだけど,肩透かしを食らった感じ.この論文はこれ以上の高みには登れないのか.
今回は照会なしの採録なので,好意的にみれば,論文誌の論文として内容が十分に仕上がっていたと捉えられなくはないが,競争率の高い海外論文誌に出していたら,もっと厳しいコメントが来たのではないかと思う.去年通った国際会議も,競争率の割には査読が温かったし,どうも自分の研究の内容にあった場に論文を出せていないのかもしれない.速度にしろ精度にしろ,数字の形で結果が出るタイプの研究は,手堅い研究になりがちなので,次はもっと議論が紛糾する,未開の地に足を踏み入れるような研究をやりたいな.
(国際学会が研究のメインの発表である情報系の分野では)論文誌は,一つの研究のまとめとして長い尺で議論を深めて(学会論文で書けなかったところまで)書くことに意味があり,良い国際会議に出した研究なら(longer version of XXXX paper)という形で読んでもらえるだろうから(英語で書きさえすれば*1)どこに出すかは学会論文を出すときほど気にする必要はないと考えていたが,論文誌も原則なるべく良いところに出す方が良いのかもしれない*2.自分の分野の研究者が投稿する国内論文誌は近日投稿予定のものも含めれば今年で一通り出すことになりそうだし,今回採録された特集号に出そうと思っていて,実験ができず出せなかったもう一本の論文は,海外論文誌に出すことにしようかな.

*1:個人的には,どこの論文誌に論文を投稿するにしても,内容が日本語に依存しない研究の場合はなるべく英語で書いた方が良いと考えている.日本語で論文を書いても,読む読者は限られるし,業績のために数を増やすだけの(翻訳)作業的な論文は,そもそも書いていて虚しい.誰のために論文を書いているのか,と考えてしまう.ただし,日本語を研究対象とする場合は,(言語非依存の部分に関して国際会議に出した論文で十分議論を尽くした場合であれば)日本人の研究者を意識して日本語で細かいところまで議論するというはあると思う.

*2:ボスからも,なるべく格上の論文誌の投稿するよう薦められた.一般論として,研究をより良くするためには,査読結果がしっかりしている論文誌・会議・ワークショップに投稿するのが良く,格の高い国際会議は(査読の質を高く保ち,よい論文を選別しようという意識があることから)良い査読がもらえる場合が多いので(必ずしもそうでない場合もあるが)なるべく良い会議に出すのがよい.論文が通るか通らないかはPCが判断するものなので,自分で研究の可能性を過小評価することはない.